三・二九事変
注意:この記事で取り扱っている内容は、現在も問題は進行中であり、我が帝国内でも慎重に取り扱うべき内容であります。
また、編集者は可能な限り中立的な視点からこの記事を執筆する必要があり、この記事にて特定の人物を批判してはなりません。そして、批判する意図もありません。
この記事によって発生したいかなる問題の責任は編集者が負い、問題を解決する義務があります。
編集者 ベニショウガ・ディートリッヒ
三・二九事変
ぶらうん歴250年3月29日、23時00分ごろ、大ぶらうん帝国公式Twitterアカウントにて「しにたい」との投稿があった。
続き「ちんちん」や「これからお休みの方(中略)ちんこ主義ってなんd」(ある政見放送の内容を一部抜粋したものと思われる)そしてそれを共産主義風にアレンジしたものなど、意味不明なツイートが発生した。
23時10分ごろ、事態を重く見た皇帝陛下は大ぶらうん帝国皇帝勅令第2号を発表、戒厳令が布告され直ちに当該ツイートの削除、並びに緊急御前会議が開かれ対応を協議することとなった。
23時20分、緊急御前会議が開かれ、約45分による協議の末、以下の事項が決定した。
一、[削除済]
二、[削除済]
三、[削除済]
皇帝陛下や古くからの側近はこの事件にかなりの衝撃を受け、それによる厳しい措置であった。
これが、のちの「スコップ作戦」である。
作戦の展開
この問題に対する作戦はこの御前会議の後より急速に展開された。
まず皇帝陛下は帝国広報アカウントに参加しているメンバーの広報アカウントからのログアウトを求め、さらに帝国アカウントの削除を決行された。
そして戒厳令を根拠に帝国議会の権能を停止し、中枢院と皇帝に権力を一気に集中した。
これが「三月体制」である。
また記事内容の厳選を行うために「SNS等の広報利用に関する法律(通称:Twitter法)」が皇帝勅令として発布された。
しかし、内紛の危機が迫る。
諜報部による反乱組織リスト提示
作戦展開真っ只中の4月ごろ、大ぶらうん帝国諜報部から活動の可能性のある反乱組織のリストが提示された(4月文書)
皇帝陛下は再開予定だった帝国アカウントの再開作業を停止し反乱時に攻撃を受けないように対策を行つた。
スコップ作戦の一部も停止され帝国の体制維持を喫緊の課題として三月体制のより一層の確立が図られた。
のちに、このリストは多くの誤りを含むものである可能性が提示され、諜報部は訂正を行い帝国の危機は去った。
5月事件と戒厳令の延長
その後安定を取り戻し、戒厳令の解除も5月10日に迫る。戒厳令という「劇薬」に浸かつていた帝国を再び元の状態に戻すべく、中枢院が代行していた帝国議会の業務を徐々に帝国議会に再移管。そしていよいよ戒厳令解除を目前に控えた5月初旬に再び事件が起こる。
大ぶらうん帝国の幹部陣のSNSアカウントに不正ログインが相次ぎ、皇帝陛下は戒厳令の延長を発表。さらに何を血迷ったか山口と名古屋へ侵攻するとまで言い出す。皇帝陛下の御乱心はいつものことであるため軽くあしらわれたが山口侵攻だけはガチで許されなかった。
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