指定害悪組織 P.T.A.

指定害悪組織P.T.A.とは、子供への反君主主義的な教育によって帝国の政治を瓦解させようとする団体である。帝国各地に散在していた革命組織を、一つの団体として結集したものである。


名称

P.T.A.の名称は、帝国歴229年の結集の際に結ばれた協定「平和主義者による帝国皇帝への脅迫協定」の平和主義(Pacifist)、脅迫(Threat)、協定(Pact)からつけられた。


活動

主なメンバーは教員である。反君主主義を掲げ、それに沿った教育によって児童を洗脳、反乱者とすることを目的とする。広報誌「子供のためになる国造り」によって保護者も洗脳させる。

三ない運動「従わせない、戦わせない、尊敬させない」を繰り広げ、国会付近の学校内で決起集会をくりひろげ、帝国ソーシャリズム教職員組合といった教職員組合と共闘したこともあった。(詳細は後述)


ラボラールブルグ高等学校武力闘争

前述した「三ない運動」を展開、所属教員に指導するよう催促し、帝国ソーシャリズム教職員組合(以後ESTU、Empire Socialism Teachers Union)も賛同したが、教職員組合の中ではでは弱小であった。そして大規模組織の帝国教職員組合(以後ETU)反発、ESTUは決起集会を開く。そしてP.T.A.とESTU(背後にP.T.A.)対ETUといった構図で抗争が始まる。

248年4月12日、爆弾を抱えたラボラールブルグ高等学校。グラウンドでは教職員全員49名(うち15名はESTU所属)と生徒約550名が参加する始業式が行われ、ESTU所属の教員代表が挨拶をした。しかし、

私としては、今年は政敵を破壊するための演習を、向こうの第一演習場(軍事教練のため、塹壕、要塞、武器が配備されている演習場。)で行いたい。

という言葉を、ETUに所属する教員が宣戦布告と解釈、乱闘を行った。

9時33分に始まったが抗争だが、生徒もこれに参加。ESTU所属教員の生徒248名はESTU側に、残りはETU側についた。ESTU側は「我らは赤軍騎兵隊」、ETU側は「ああ紅の血は燃ゆる」を合唱しながら、第一演習場の武器や短剣を用いて乱闘を始める。

国会近くにいた陸軍部隊もETU側に参加、彼らはESTU教員に排除されたが、ETU教員にかわいがられながら育った者たちだった。中にはこの学校出身のものも、同級生にETUの教員がいる者もいた。

軍人は武器を学生に供与、素手で戦う。

しかし、敵味方の判別も難しく、誤射も相次ぎ、装備的には優勢のETU側だったが、戦局は拮抗し、よくならず。

「ああ紅の血は燃ゆる」も覇気がなくなり、ESTU側は士気が向上。

そこで国会にいたディートリッヒ航空大臣、付き添いのシーラッハ氏、モニカ氏も便乗。

彼らの参加により、ETU側は勢いを取り戻す。ディートリッヒ氏は

恨むべきは教育委員会ではなくESTUだったな

と漏らすほどESTUを憎んでいた。

ETU側は万歳三唱しながら突撃、学生がESTU側教員を6人一気に切りつける、シーラッハ氏が航空学科卒業時にディートリッヒ氏から譲ってもらった刀で戦場に8つの生首を同時に設置するなど活躍、抗争はETU側の勝利で終わり、国歌斉唱が行われ、万歳が響き渡った。


P.T.A.の終焉

この事件を重く見た皇帝陛下は、P.T.A.を名指しで批判。政治的対処はできなかったが、親衛隊が特定害悪組織に指定したことで勢いは衰える。

現在も小規模ながら活動中。洗脳は行われず、万が一発見したら親衛隊に通報するように、と告知されている。

来たる議会選挙後、復活するといった見方もある。


んでどうなったかというと、結局議席はゲットできませんでした。まあここまでやべえ乱闘騒ぎ起こしたからね、仕方ないね。

そして第2回選挙の際、新政党ブドウ党の設立や初当選を狙う軍民同盟、2期目を目指すBEIに反省室から国民を(ry)の4つ巴が展開される中でP.T.A.には「政党活動禁止命令」が発布されひっそりと活動できなくなっていた。

こうして、騒乱を巻き起こし、皇帝を刺そうとした革命的組織はここに終焉したのだ。

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ーこれはネットの海を漂う小さな国の奇譚ー

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