ぶらうん3世
ぶらうん3世は、大ぶらうん帝国の王族。
第11代、13代皇帝、ラボール=ラボラボール家現当主。
出生 武暦207年(1979年)9月23日 (43歳)
大ぶらうん帝国・ラボラールブルグ
本 名 ぶらうん・リールシュタイン・スミミ・ラボラボール3世
王朝 ラボラボール朝
在位
大ぶらうん帝国 第11代皇帝
(在位 1994年1月4日- 2023年3月31日)
大ぶらうん帝国 第13代皇帝
(在位 2024年4月1日-)
帝国領琴海=三浦連邦 第3代大統領
(在任 1994年1月4日-2023年3月31日)
パラソル王国 国王
(在位 1993年10月23日-1994年5月31日)
爵位・栄典
【国内】
大ぶらうん帝国 第一位くるみ勲章
大王勲章
文化功労勲章
帝国陸海空軍 大元帥
帝国領大瀬戸王国 公爵
帝国領宮村公国 公爵
【外国】
西彼王国 王国勲章
帝国宮内省が公開している御真影。
ぶらうん歴207年9月23日、大ぶらうん帝国首都ラボラールブルグの「鴎離宮」にて、第10代皇帝リッテル一世の長子として誕生。
幼少期は活発でよく周囲の手を焼いていたがそんな彼も歳を重ねるうちに次期皇帝としての自覚を持つようになる。
しかし、彼は歴代皇帝と大きく違う点があった。これまでの帝国では「ぴょんぴょん教」の影響から、ごちうさ族である者でなければ皇后になることができなかった。しかしリッテル一世の代から進められた漸進的な近代化、世俗化によりこの慣習は破られ、リッテル一世の皇后にはごちうさ系の人物ではなく、もえたん系、すみ族のシャレード・スミミ上皇后陛下がなられた。
このことは帝国各地の王族に大きな波紋を齎した。ポータル=ラボラボール家とナース=ラボラボール家はこのことを「自由の幕開け」として容認したが、幾度となくラボラールブルグの家と対立してきたフラワット=ラボラボール家のラーラトール王はこれに強く反発し、息子フーレタールを擁立し、ぶらうん3世の王位継承権剥奪を迫った。
フーレタール王とぶらうん3世の仲は悪くなく、よく姉のリリィ王女と遊ばれる姿がみられたが、フーレタール王は父ラーラトール王の意向に従うべくぶらうん3世と決裂した(ラボラールブルグ城の決別)。後年になってフーレタール王は次のように語っている。
父から、「やつは危ない」と幾度となく教えられていた。世間知らずの私は、そうなんだとばかり思い、信じ込んでいた。
武暦220年、父リッテル一世の退位にはじまるフーレタール内戦が勃発。なんやかんやがありましたがフーレタール軍を撃退しフーレタールをスプラッシュ諸島の火山島であるサッツレイ・テッド島へ左遷という名の島流しにし、皇帝即位をほば確定させる。
ぶらうん暦221年10月23日、パラソル王国国王に即位。併合までの経過措置としての境であった。そして222年1月4日、大ぶらうん国首都ラボラールブルグの王宮「桜の宮」において即位。
以後は前帝リッテル一世の事業を引き継ぎ、帝国の近代化に努める一方で、国民主権的な国家制度の確立に取り組まれていた。
しかし武暦251年3月、日本への留学を決め、姉のリリィ一世皇帝陛下に皇位を譲られ退位、直後すぐに日本へと飛んだ。
そして1年で帰還し252年4月に践祚。何がしたいんだろう。
空軍大臣ベニショウガ・ディートリッヒ氏と幼少期より親交がある。
性格はザ・変態とされる。
萌えに弱く、とくにロリっ娘を好む。
しかしYes ロリータ,No Touch.の不文律を堅持しており、マッヤッチャンカワイイヨォォォォォ↑と奇声をあげることはあれど手を出したことはない。というかだめだよ手ェ出しちゃ。
さらに濡れおっちょっ何をする離s
[親衛隊により拘束]
逸話
- 父のリッテル1世から即位時に「お前の代で、帝国を千年も続く大国にしてしまえ」と伝えられたという。
←ここヒトラーっぽい - 直後に「むりっす、むりっす」と言ったという。
- パラソル王国併合時、パラソル吸収反対派だった家臣にこう述べた。「なるほど、たしかに母国が消滅するのは悲しいことだ。しかしながら、あの国は今が正念場なのだ。我が国が彼の国を併合しようとしまいと、あの島にも戦禍は訪れるであろう。我が国は彼の国の国民を一人でも多く救うために併合を"強行"する。たしかに悲しいことだ。たしかに正当化の言い訳だ。けれど、彼の国がどこかの国の下につかなくては……彼の国は今後何百万の民が被害に遭うやも知れぬ戦いに巻き込まれる可能性もあるのだ。正当化の言い訳をしてでも、あの島を、民を護りたいのだ。理解してくれ。」
- 肘フェチ。筋金入りの肘フェチ。かつて空軍大臣ディートリッヒ氏の妹、ベニショウガ・モニカ氏に肘を要求したことで知られる。
- 可愛いもの好きであるといわれている。
- メンタルが弱い。7.24政変のように意外としょうもない理由で退位しようとしたりするがまだ独身なのでやめてください。
- また自信がない。結構な頻度で萎えている。
- 女子について以下のような迷言を残している。「女子っていいなぁ、フリフリやふわふわしてもいいんだもん。」
他の王族との関係
- リッテル一世上皇
共に旅行されるほどの仲であるが、国民主権制度の確立に慎重な上皇陛下と皇帝陛下はこの部分では折り合いが合わない。
しかしプライベート全般で母のシャレード上皇后より仲がよい。
- シャレード上皇后
仲が悪くなったり良くなったりとさまざま。お互いが相手のことを「利用できるやつ」としか思っていないのか変なところで連携しては用が済んだとみるや否や翻し仲が悪くなる。家族、というより政治的パートナーという意味合いが濃い、謎の二人。
- リリィ1世
抱かれる、離れるの関係。抱きつきにくるのはいつもリリィ1世。推しの話などはかなり馬が合う。どちらもすみちゃん推しとピョコラ様推しらしい。同担拒否にはならなかったのだろうか。オタクトークに花を咲かせる鴎離宮・黒の間は完全にヲタク部屋。そこいらのヲタクの家と変わりない。
- フーレタール王
島流しになった後は関係は元通り。だが皇帝陛下に首都に帰すそぶりがないあたり、まだ完全に信じきれていないのかもしれない。
フーレタール王は現在、慈善活動マニアと化したようで陛下もそれをしれっと支援されている。
- ラーラトール王
かつてはバチバチだったが最近ではお互いどうでもよくなってきている。反乱を指導した「黒幕」ポジションのラーラトール王はサッツレイ諸島のなかでもかなり不毛な島へと送られた。しかしながら皇帝陛下はせっせとみかんだけはよこし続けたために対立は解けた末に、最近はお互いが相手のことをどーでもよいと思いつつあるとか。
- ルーン女王
陛下のおばあちゃん。仲は良い。公務に出たがるルーン女王をなんとか引き留めることもしばしば。
年表
武暦207年(1979年)
9月23日 鴎離宮にて誕生
武暦213年
3月1日 桜の宮で皇位継承者の儀
4月1日 帝立ラボラールブルグ大学附属小学部へ入学
武暦215年
9月3日 王位継承順位一位(当時)のアルブレヒト5世王(リッテル一世の弟君)が薨去。自動的にぶらうん3世が皇太子に。
10月1日 皇太子即位の儀
武暦219年
3月10日 帝立ラボラールブルグ大学附属小学部を卒業
4月1日 同校中学部へ入学
10月14日 ラボラールブルグ城の決別
10月29日 ラーラトール王の王位継承権が剥奪。
武暦220年
1月?日 秘密裏に軍からのラーラトール別邸侵攻計画を入手する
4月27日 リッテル一世と共同でラーラトール別邸侵攻計画を承認。
4月28日 ポータル諸島のラーラトール別邸へ侵攻(フーレタール内戦の開戦)
4月30日 ラーラトール別邸が陥落しラーラトール、フーレタール両王が捕縛。
武暦221年
10月23日 パラソル王に即位
11月1日 リッテル一世退位
武暦222年
1月4日 桜の宮で即位。ラボラールブルグ萌え教会からぶらうん3世の名が贈られる。
3月14日 帝立ラボラールブルグ中学校を卒業
4月1日 帝立ラボラールブルグ高校に進学
武暦223年
時期不詳 生徒会長になられる
武暦225年
3月1日 帝立ラボラールブルグ高校を卒業
4月19日 帝立ラボラールブルグ大学に進学
武暦229年
4月? 「アナローグ史における戦闘の詳細」で帝立ラボラールブルグ大学を卒業。
武暦230年
1月4日 武暦230年記念式典を挙行。陛下初の完全オリジナル演説を発表。
10月3日〜16日 初の外遊で日本、米国、英国を訪れる。
武暦231年
2月ごろ 王室の目を盗みひとりドイツに飛ぶ。ICEに感動される。
4月1日 ベルンハルト2世王が摂政位を退く。
武暦235年
詳細不明 D.U.P.解散コンサート遠征のためにリリィ王女とともに日本に飛ぶ。
武暦240年
1月4日 武暦240年式典を挙行。
3月15日 初の皇帝緊急勅令発布。レオンハルト内閣と帝国議会の強制解散を実施(レオンハルト首相の汚職事件発覚のため)。
武暦251年
3月2日 暗殺未遂事件発生
3月26日 さくら作戦を指揮、博多を占領
3月30日 退位を発表される
3月31日 退位の儀。ぶらうん3世殿下として赤座宮に移られる。
4月1日 帝都より政府専用機で日本へ飛ばれる。
4月23日 わかば作戦を指揮。博多を占領
9月17日 もみじ作戦を指揮。博多を占領
10月〜 第四次バタケール紛争を指揮。
12月31日 バタケール派との会談
武暦252年
3月25,26日 さくらこ作戦を指揮。
4月1日 践祚。
政治
3代ぶりの摂政皇帝
ぶらうん3世の即位は若干15歳。彼が24歳になる2003年まで、彼には摂政がついていた。それが名門ポータル・ラボラボール家の当主のベルンハルト2世王である。
ベルンハルト2世はぶらうん3世の父、リッテル1世と同じく民主派で、ぶらうん3世の摂政に相応しいと任命された。
ベルンハルト2世は政治的にぶらうん3世の代わりを担う一方でぶらうん3世が17歳となった1996年頃からぶらうん3世に意見を聞き、それを受けて統治する「君主教育」を施した。
このように摂政をおき統治する「摂政皇帝」は彼の3代前、第8代皇帝ハインリヒ2世以来であり、また即位した歳もハインリヒ2世に次いで若い。
民主派皇帝として
国内民主主義勢力の弾圧を完全になくしたことに代表されるように、ぶらうん3世は民主主義的な改革を実行した。
責任内閣制の導入、(禁止されている極左・極右的思想を除く)政党の政治思想主張に自由を認め、皇帝の権威や存在を必ずしも必要としない思想でも、親和性が高いと見做されるものは全面的に認めてきた。
非同盟主義への傾倒
当初、ぶらうん3世は外交関係を重視し、連合への加盟を行っていたが、帝国に不利な情勢となったこともあり、とうとう同盟を蹴り飛ばし非同盟・単独外交を国是とした。
その後も国交締結は行なっていたが、とうとうそれすらもやめて半鎖国状態になった。
軍備の増強
軍装備マニアだったからか、軍隊の増強にやけに熱心に取り組んでいる。
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