軍需大臣 ベニショウガ・ディートリッヒ
ぶらうん歴222年、パラソル諸島(旧パラソル帝国)ローズ市にて生を受ける。
ベニショウガ家はパラソル諸島では有名な家系で、将校クラスの多くはベニショウガ家の生まれだった。
兄弟はおらず、資金的にも裕福だったため幼いころから旅に出ていた。
8歳のころから3世皇帝との親交があった。
17歳のころ、適性検査に合格し、大パラソル空軍に入隊。
家系、才能ともにある程度のものは持っていたため、18歳には搭乗員として演習に参加していた。
18歳になってすぐ、バタケール紛争が勃発。大パラソル帝国は大ぶらうん帝国との関係が非常によく、義勇軍としてディートリッヒが配属された第十八防空師団第二独立飛行中隊長として戦闘に従事。
バタケール紛争では敵航空機も多かったが、複葉機がほとんどだったため彼の撃墜戦果は飛躍的に伸びる。
中隊の稼働率は輸送網の脆弱さ、砂漠による砂塵などにより非常に低かったが、ディートリッヒは非常に扱いが丁寧なこともあり、あまり機を壊すことはなかった。
ほかの機が立て続けに故障したこと、単葉機の速さを利用した一撃離脱戦法などを活用し、終戦のころには総撃墜数109機を達成した。
彼の愛用するは無塗装の機体で、日光の反射により目立ち攻撃されるもことごとく返り討ちにした。
最終戦果は189機、193機など、文献による。
20歳の時、終戦。第十八防空師団師団長に任命される。
21歳の時、大パラソル王国は大ぶらうん帝国に吸収される。(詳細は下記リンクを参照。)
当時の大パラソル王国の皇帝で、ディートリッヒの三歳年上のベッケンバウアー氏(幼少期から仲が良かった)にこの話を聞くと、複雑そうな顔をしていたという。のちに自著で
あの時、私は
「皇帝よ、そして我が友人よ。なぜ、この国の独立を維持しないのでしょうか?なぜ、戦わねいのですか?なぜ、朕のために死ね、とおっしゃらないのですか?」
と尋ねた。しかし皇帝は私を必死に説得した。納得がいかなかった。しかし、私の最も尊敬する人物のいうことに、私は納得したふりをした。
皇帝はぶらうん三世が就く、という報で、私の忠誠は大ぶらうん帝国「ローズ市」へと変わったのだ。彼なら、私の目的を、民に「ローズに生まれてよかった」と思わせることができる、と確信したのだ。
と述べている。
そしてパラソル王国は大ぶらうん帝国に吸収された。
23歳の時、3世皇帝が即位。幼いころから親交があり、幼少期にも頻繁に会うなど、非常に親しい間柄だった。
そのため、ディートリッヒは3世皇帝に空軍の現状、改善点を頻繁に話していた。
3世皇帝が即位するころには仕事の多さもあり、あまり会うなどはなかったが、両者ともに幼いころの交友はよく覚えていた。
ディートリッヒが空軍に所属していたことを知った3世皇帝はさっそく彼に会った。
師団長になっても、あまり変わることのないディートリッヒの考えを再び聞いた3世皇帝は、すぐに空軍大臣として指名、中枢院議員の間でもディートリッヒは有名だったため、満場一致で可決された。
ディートリッヒは空軍大臣になるなり、すぐに改革を始めた。
防衛白書を作成、中枢院でも可決された。(秘密裏に行われた)
さっそく実行に移し、現在でも順調に計画は進んでいる。
第十八防空師団師団長、第二独立中隊中隊長を続けており、バタケール紛争での経験を活かし、実験部隊としての側面も持つ中隊を率いていたが、友人のシーラッハ氏に継承。
空軍大臣就任後、宣伝大臣にも任命される。幼いころから読んでいた「我が闘争」の知識を活用し、宣伝を始め、今に至る。
空軍省が航空省に改称され、同時に空軍大臣も航空大臣と名称を変更した。その後、陸海軍大臣が就任されないため、軍需大臣として帝国軍の総括にあたっている。
帝国の守りを一挙に担い、仕事量も責任も増したが、なんとか過労死ギリギリのところで耐えているらしい。
また、帝国親衛隊の隊長としても活躍しているが、それは以下リンクを参照されたい。
役職
大ぶらうん帝国航空省 軍需大臣
大ぶらうん帝国親衛隊 隊長
大ぶらうん帝国陸軍 特別臨時顧問
大ぶらうん帝国海軍 特別臨時顧問
大ぶらうん帝国モーターボート競走会 会長
大ぶらうん競艇・競馬機構 会長
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