大ぶらうん帝国親衛隊


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大ぶらうん帝国親衛隊とは、皇帝陛下や帝国の治安維持、諜報、情報統制、帝国議員や大臣の反乱抑止、及び監視を行う機関である。

本庁舎はラボラールブルグ王宮内[削除済]、主要な島に副庁舎が設置されている。

隊旗には、陸海空軍の勲章でもある "二重の八芒星" と陸、海、空いずれの戦域でも出撃できることを示す3つの五芒星、帝国を独立に導いた魔法のステッキ(?)が描かれている。



「国内における内乱対処等に関する法律」では、
国内における内乱が発生した場合、親衛隊、国軍はそれに対処しなければならない。また、親衛隊は常日頃から情報収集をし、反逆者の兆候があれば皇帝陛下に報告する義務がある。

とされている。

内部人員に関しては、公式発表によるとベニショウガ・ディートリッヒ航空大臣のみ、となっている。これは、就任時記者会見にて

親衛隊内部で新たに人員を雇用、投入する予定はない。

と明言している。親衛隊の発足理由が三・二九事変後の大臣による反乱の前兆があるため、だからであること、親衛隊自体大臣の反乱を防ぎ、万が一には皇帝代理を務めることなど、絶大な権力を持っていることから、親衛隊内部での反乱を防ぐためと言われている。

しかし、大規模な反乱鎮圧のため、帝国空軍[削除済]師団第一大隊(1RFD)が反乱鎮圧部隊として置かれている。

副庁舎が設置される際、新たに人員が投入、新大臣のうわさも流れた。親衛隊長官たる空軍大臣の旧友が有力視されていたが、

親衛隊は大臣の反乱を防ぐ組織だ。彼は人の心を読むのには適しているが、押しに弱い。そこから情報が洩れてはならない。

と発言したため、親衛隊長官のみでの親衛隊が続いた。

また、「ならなぜ副庁舎を建設するのか」と、副庁舎建設への懐疑的な意見も集まったが、長官外遊時の反乱に備えるため、速やかに1RFDの指揮がとれるようにと説明があった。

三・二九事変後の反乱前兆についてはのちに説明する。

今では帝国全体にて反乱の前兆がないか調査を行っている。

各軍の反乱対処には特に重視しており、毎年親衛隊にて「将兵が反乱を起こさないようにするにはどうしたらいいか」といった教育を大隊長クラスに施してはつれいされている。

250年、いままでの主張を一転し、アンジェ・ペルシカ氏を雇用。

「拷問、尋問が得意と陸軍長官から聞いたので、陸軍から引っこ抜いた。あと親衛隊でぼっちもさみしいし」

とコメント。




親衛隊の歴史

246年2月 親衛隊の発足が議会にて取り上げられる(皇帝陛下のボディーガードとして)

同年3月29日 三・二九事変勃発

同年3月30日 親衛隊発足 1RFDの即時出動準備

同年3月31日 いわゆる「4月文書」「国内における内乱対処等に関する法律」作成

同年4月後半 1RFDの即時出動準備解除、内乱への警戒解除

同年5月   国内での内乱対処全般を担当、第一回「将兵が反乱を起こさないようにするにはどうしたらいいか」教育を開始


      


三・二九事変後の内乱兆候

三・二九事変後の3月31日、大臣の集団による革命組織が三・二九事変を起こし、4月中には大規模反乱がおこるのでは、といった説がかねてより調査を行っていた親衛隊長官により浮上、午前2時にもかかわらず電話会談が行われた。

当日午後9時にはその組織のメンバー一覧、直近の疑わしい言動をまとめた「4月文書」がまとめられる。


皇帝陛下は親衛隊に監視を続けるよう指示する傍ら、自身の求心力と統率力の低下を自覚し、反乱グループへの合流を防ぐための工作を自ら開始される。これが、「Unternehmen Alte Kameraden(旧友作戦)」である。

そして「国内における内乱対処等に関する法律」も作成された。

議会、中枢院を通すと反乱軍側によって否決される可能性もあったが、戒厳令の布告中であり、皇帝により即時に可決された。

また有事に備え、大ぶらうん国際航空からトライスター一機を借り上げ、ラボラールブルグ・シティ空港にとどめ置きなんかあったときにチャーター便を装い帝国から離脱する準備を行っていた。

親衛隊は1RFDをラボラールブルグ・シティ空港周辺に配置、即時出動準備が発令された。

しかし4月後半、反乱の機運が下がったことを受け、この機体は任務を解かれ、大ぶらうん国際航空に返却された。



大ぶらうん帝国公式

ーこれはネットの海を漂う小さな国の奇譚ー

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