苺型敷設艇

苺型敷設艇とは、大ぶらうん帝国の敷設艇。
1950年、公試中の一番艦「苺」
  • 艦種   敷設艇
  • 運用者  大ぶらうん帝国海軍/バタケール国家再生軍
  • 同型艦  8隻
  • 計画数  5隻+3隻
  • 命名基準 バラ科の植物
概要

平島型敷設艇の設計を流用し1944年に就役。帝国海軍の敷設艇「10型」の置き換えの為に10型と同数の5隻が建造された。
しかし、帝国の第6次海軍増強計画により、3隻が追加建造された。


戦績
建造後最初の行動は1945年7月21日の第9作戦である。これは大ぶらうん帝国近海に大日本帝国の軍用機が接近したことによるものであった。バタケール州近海に現れた機体を捕捉し帝国本土まで随伴した。

1959年の9月事件の際、首都ラボラールブルグの軍港に泊まっていた2番艦「桜」がぶらうん共産党のミサイル攻撃を受け小破した。

そして1972年のバタケール紛争時、帝国海軍バタケール隊の艦艇であった5番艦「梅」と6番艦「浜茄子」がバタケール国家再生軍に鹵獲され利用される。この2隻は反乱側の主力艦として利用された末にバタケール紛争最末期の1972年5月20日、5番艦「梅」は軽巡「三城」の至近弾を数発受け撃沈、6番艦「浜茄子」は帝国空軍の攻撃の末に撃沈された。
また8番艦「杏子」もバタケール国会再生軍に鹵獲されており、戦後に再び帝国軍に引き渡されることを恐れたバタケール国家再生軍により自沈処分された。


現在

現在でも残された艦は運用され続けている。


同型艦


1番艦 苺
2番艦 桜
3番艦 桃
4番艦 木瓜(ぼけ)
5番艦 梅
6番艦 浜茄子
7番艦 山吹
8番艦 杏子


喪失

苺型は3隻を喪失している。1945年以降の帝国海軍艦としては喪失率が高い。これはさまざまな戦線で利用されたこと、バタケール紛争に巻き込まれたことなどが大きな理由とされている。
1972年5月20日、帝国空軍機の攻撃をうける直前に撮影された6番艦「浜茄子」。


5番艦「梅」
1972年1月、6番艦「浜茄子」とともに鹵獲され、バタケール国家再生軍の主力艦艇として利用される。1972年5月、「ほうれん草作戦」の一環として行われたバタケール海戦において軽巡「三城」の至近弾を受ける。
このとき機関部が浸水により損壊。さらに数発の打撃を受ける。「三城」が10発程度の攻撃を行ったところで船は真っ二つに折れ轟沈。速やかに「三城」と同行した駆逐艦による救難活動が行われ、乗員70名中32名が救助された。

6番艦「浜茄子」
5番艦「梅」とともに1972年1月鹵獲、5月に「梅」とともにバタケール海戦に出撃。
こちらは「梅」に「三城」による猛烈な攻撃が行われているうちに駆逐艦1隻への攻撃を敢行し小破させた。しかし戦闘中に機関が故障し、速力を落として退避していた。そこに帝国空軍の攻撃機が出現。「浜茄子」に向けて魚雷2発を発射し船は大破。なんとか浮上しており、ニーソークブルグに帰還中、バタケール国家再生軍側が敷設した機雷に触雷し沈没。

8番艦「杏子」
1972年1月、バタケール近海航行中を鹵獲。
しかし実戦に用いられることはなかった。バタケール国家再生軍の敗色濃厚となった1972年5月、ニーソークブルグから撤退しジャガーリ湾へと入る。ジャガーリ湾内で同艦は自沈処分されることとなり、5月19日深夜、金氏弁が一斉に開かれた。艦艇はみるみる沈み同艦は湾の奥底に沈んだ。

帝国海軍は戦闘終結後、この地に訪れたがこのとき同艦のマストに接触し12号駆潜艇が一隻損傷、のちに湾内で浸水し修理不能になっている。この艦はバタケール国家再生軍が保有していた艦艇のなかで小型艦とはいえ唯一帝国海軍艦に打撃を与えた艦となった。

1975年10月に引き上げられ、同年中に解体された。



大ぶらうん帝国公式

ーこれはネットの海を漂う小さな国の奇譚ー

0コメント

  • 1000 / 1000