大ぶらうん愛国党
大ぶらうん愛国党とは、大ぶらうん帝国にかつて存在した極右政党。「大ぶらうん愛国軍」という私兵組織を有しており、かつての大ぶらうん帝国国内で反共の急先鋒でもあった。1960年に禁止され、1966年に完全に解体された。
概要
1941年、大ぶらうん帝国の軍人であったシュナイダーが首都郊外の小さなアパートで仲間5人と結成した「祖国防衛・愛国者聯合」を出自とする。シュナイダーは皇帝、ひいては帝政に心酔しており、それを破壊しようと試みる左翼勢力を排除する心算であった。
1946年の地方統一選挙にシュナイダーはじめメンバーが出馬するも1議席とるのがやっとの状況であり、より強力な後ろ盾を必要としたシュナイダーは帝国の中で比較的右翼的思想の企業などに片っ端からマニフェストを触れて周り、それらの企業の社員を利用し勢力確保に努めた。このやり方は実は彼らが敵視していたぶらうん共産党と同じやり方なのは何という皮肉か。
そして1958年の帝国議会選挙において最大野党の皇道大党を抑え野党第一党の座に座る。
当時の党員は430人を数え、帝国国内電卓大手の「セイミ電子工業」をはじめとした企業からの支援を受けていた。
それを受けてか1959年には武装闘争を開始することとなりぶらうん共産党と市内で銃撃戦を繰り広げ、ぶらうん共産党の車を爆破し、さらには同じ仲間っぽくみえる皇道大党とも乱闘するなど、右派のなかでも急進的、極右の代表格のような活動を繰り返していたが、1960年、9月事件に関わった政党の中で最も早く活動禁止にされた。残余メンバーは党の活動再開を幾度となく計画したものの幾度となく帝国軍や親衛隊に封殺され1966年に最後の系列政党である「愛国者・大ぶらうん党」が解散し完全に系譜が途絶え、これ以降大ぶらうん愛国党系列の政党は存在していない。
名称について
1950年に「大ぶらうん愛国者・祖国防衛戦闘者団」に改称された。
のち1956年に「大ぶらうん愛国党」に改称されている。
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