リリィ1世

リリィ一世とは、大ぶらうん帝国の第12代皇帝。前帝ぶらうん3世の姉である。


出生  武暦204年2月28日(46歳)
    ラボラールブルグ・鴎離宮

正式名 リリィ・フルール・スミミ・ラボラボール

王朝  ラボラボール朝

王族

ポータル州総督 1998年4月1日-2014年3月
首都特管区総督 2014年4月1日-2023年3月31日

大ぶらうん帝国皇帝 2023年4月1日-

概要

武暦204年(1976年)2月28日、鴎離宮で生まれる。
幼い頃は大人しく、おっとりさんだったためか弟のぶらうん3世によく手を引かれながら庭園で遊ばれる光景が側近らに目撃されている。
武暦210年(1982年)、ラボラールブルグ大学附属小学校に入学され、そのまま大学まで進まれる。

武暦226年(1998年)大学卒業と同時にポータル州総督に就任。当時経済低迷が進んでいたポータル州のGDPを大きく上げる。

武暦242年(2014年)ポータル州総督から首都特管区総督になる。

そして武暦251年3月、弟のぶらうん3世殿下の退位に伴い皇帝リリィ1世として即位される。同時にこれまでのご座所であった翡翠宮を離れ、鴎離宮にはいられた。

人物

ブラコンな節があるという。
皇帝陛下は次のように回想している
姉貴はすげえんだわ、一日一回は私を抱きしめないと気が済まないらしいんだわ。やめろ、っては言ってるんだがだめだね聞かないんだ。長崎のねえさまらはんなことなかったんだがなぁ。なにがどうして

おっとりさんなのは変わっておらず、たまに会議で書類を忘れてくるという一面も。
目が悪く(本人談)丸い眼鏡をかけている。

通称はお嬢。

逸話

  • 帝国海軍の視察に赴いた際、乗っていた艦が整備不良で火災を起こし、爆沈した。(26番掃海艇事件)。本人は脱出し無事。乗組員も無事。艦はだめだった。

  • にゃんこ王国との関係改善の兆しが見えていた2004年、同国首都ミャーオで行われた会談に赴く際にラボラールブルグ首都国際空港でお腹を壊し、出発が1時間遅れた。その遅れの間に、ミャーオでは銃乱射の事件が起きており、遅れずに現地に到着していればお嬢の命は危なかったかもしれない。

  • ラボール高速鉄道・ラボラールブルグ駅の一日駅長を務めた日、季節外れの大寒波で大雪となり、高速鉄道は遅れ2時間という大惨事を引き起こした。

これらのことから、基本的に乗り物系のイベントに恵まれないお嬢であるが、それ以外のものについては類い稀なる強運や、その明晰な頭脳を発揮する。

  • 2001年、1989年以来融和に動いていた関係が再び悪化しはじめたころ。にゃんこ王国との会談において、にゃんこ王国宰相ミケニャーの失言を引きだし、結果的に国内のミケニャー失脚クーデターを起こさせた。そして後任に宥和派をたてることにも成功している。

  • ポータルの反王族的テレビ局の番組に呼ばれた時「強硬に改革を推し進めている」という批判をするコメンテーターにこう言い放った。
「そうね、今の経済を改善するためには強硬策しかないと思ったわ。そしてあなたたちは私が何もしなければ弱腰だと罵るのでしょう?」

  • 大村市国に赴いた時のこと。
このとき、偶然にも佐世保総督府長と対談でき、結果的に大村市国の佐世保統治地域内での利権を確保することに成功した。

なぜ女帝にならなかったのか

リッテル一世にできた初めてのご子息であるために、合理的に考えればお嬢が継承順位1位であり、ぶらうん3世よりもお嬢のほうが王位継承の確率は高かった。実際に帝国においては女帝も生まれている。しかしお嬢は女帝にはならなかった。

まあなぜこうなったというと、立ち居振る舞いが萌えなかったからではない。お嬢に皇位継承の話が舞い込んだ1993年、お嬢は勉強熱心だったがために「勉強したいから弟に任せろ」と言い残し即位を拒否したのだ。

勉強のために王位を投げ捨てたわけだ。
しかしそこまでして勉強したために名門ラボラールブルグ大学を主席で卒業され、さらに経済の活性化をもたらした。

結果、皇帝陛下から目をつけられあれやこれやといろいろ大事な職務を任され続けている。

ちなみに立ち居振る舞いについては、めちゃくちゃ萌えるので一見の価値ありである。

大ぶらうん帝国公式

ーこれはネットの海を漂う小さな国の奇譚ー

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