ラボラールブルグの係争地
ラボラールブルグの係争地とは、ラボラールブルグ市ならびにラボラールブルグ首都特別管区内において係争地となっている地域、ならびにその問題のことである。
黒威町(下池区、若葉区)
黒威町(くろいちょう)は下池区の町(行政区分)である。旧:東ラボルル郡黒威町。この町全域について、若葉区が編入を求めているが協議は進展していない。
このゴタゴタは、1961年の第2次市町村統合計画により、財政難に陥っていた黒威町が東ラボルル郡から離脱してラボラールブルグ市旧:中央区に編入されたことから始まる。その後、1964年に旧:中央区は現在の中央区と下池区に分割された。黒威町は下池区に属することとなる。
黒威町の編入から遅れること2年の1963年、東ラボルル郡の自治体は虹原町を筆頭に統合して東ラボルル市が発足……したはいいものの、この市は発足からわずか4年、1967年に行われた第3次自治体統合計画によってラボラールブルグ市に編入され消滅。若葉区となった。そして若葉区は元:東ラボルル郡の管区だった黒威町の若葉区編入を求めて度々下池区と対立することになる。
1981年、市の仲介で両区は仮の覚書に署名する。これは編入については黒威町の住民の住民投票により決定するというもの、そして、その住民投票を本合意から1年以内に行うというものであった。しかしこの本合意について揉めに揉めた。
下池区側は、若葉区への編入時に黒威町の中心街の天辺(てんぺ)を飛び地として管理するつもりであったが、若葉区は全土の編入を求めていた。
また住民投票の管理についても「片方の区単独での管理は不公平」として市が行うべきとした若葉区に対し、下池区は「区の問題」として下池区が行うべきと主張。調停役に入った市は両区の人員を出し合い、委員会を作るべきと主張した。3団体とも主張を譲らずに会議は平行線を辿り、第二のウィーン会議と揶揄された。結果1986年に合意は破棄され、今に至るまで下池区のままである。
風衣葉台(西区・風優町)
風衣葉台……学園都市計画の浮上などで天座町、上京町に次ぐ「第3の副都心」となりつつある地域である。
しかし1958年、風優町(ふうゆうちょう)が「風衣葉郷」だったこの地を西区に割譲したときには城北電鉄が小さな駅をおいているくらいの何もない台地だった。
しかし、西区は都心へ40分のこの地の有用性を見抜き、1970年から大規模開発を開始。
城北電鉄の風衣葉郷駅は風衣葉台駅に改称。駅の大型化工事にも関与し、小さな集落がぽつぽつあるだけだった風衣葉郷は10年で風衣葉台、の名を名乗るにふさわしい規模の人口と発展を遂げる。
こうなると風優町が放置しておくわけもなく、1985年になって風優町は開発がなされていなかったの両自治体の境界、外風衣葉の地域の割譲を西区に要求するもあえなく敗退。
しかしその後1年おきに申請を繰り返したために、とうとう折れた西区が手に負えない湿地帯を割譲した。しかし風優町は不服として湿地帯を取り囲む未開発地帯の請求を繰り返している。
大天座町密山郷(東区・ラボール高原町)
大天座町は東区の山岳地帯の大半にかかる。その面積は松ノ瀬戸町と並んで最大級であるものの、人口はラボラールブルグ市で最も少ない地域である。全体的に過疎っている。
その大天座町の奥地、密山(ひそかやま)はフラワット市、ラボラールブルグ市のどちらから見ても日の出てくる(ように見える)場所に聳えており、ラボール神話における創造神おにゃーの降臨した地とされている。宗教と密接につながっていたラボール帝国、フラワット朝時代においては王の直属地であり、当初は大ぶらうん帝国においても公領として皇帝が支配していた。
しかし漸進的な政教分離、財政の悪化などにより維持が困難になり、1901年、発足したばかりの東区に編入された。
しかし東ラボール州の大寺村(当時。1950年に隣の大町村と合併して高原町に。そして2000年に周辺3町と合併し現在はラボール高原町)がこの地の領有を主張。1905年に当時の女帝コンスタンツェ=ラボラボールはこの地の領有権について当面の間「政府国庫に帰属する」として棚上げする。
その後、1940年にどうでもよくなったのか、大寺村はこの地の領有についての議論を終了し、東区に属するものとして処理した。
そうして時が流れ1990年代、密山の開発が進み、複合リゾート建設計画が持ちあがると、大寺村の後継自治体である高原町は棚上げしていた問題を蒸し返した。
これに東区が猛反発。東区の区長を務めていたハインリヒ=スミミは民間市場と違いかなり厳しい状態だった当時の帝国の財政問題を使い「財政難は地方の自治体を統合させずにいるからだ」と痛烈に非難。
やがて帝国国内の自治体は、大統合に踏み切ることとなる。まあ恨みだよね。
そうして高原町がなくなり、ラボール高原町が誕生すると、金に余裕のできた中央政府の支援により、密山問題は忘れ去られた。現在も一応しれっと主張してはいるものの、行政面においては東区として取り扱っている。
近々完全に解決しそうな問題である。
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