諸外国の動向に関する談話
この声明はあくまで懸念であり、"私の考える"「推奨される行動」を書き連ねることをここに記しておく。
まず、昨今のミクロネーション関係において、宣戦布告へのハードルが下がっていることに大いなる懸念を示す。
そもそも、戦争というのは最終手段、最も強引な「外交行動」になる。だれもいきなり手を出すことはない。そもそも宣戦布告自体が時代錯誤で、極めて暴力的な宣言であり、到底赦されるものではない。
しかし、宣戦布告というものが存在する以上は定義をせねばならないと考える。
私は当事者での協議が行き詰まり、双方が戦争もやぶさかではないと認識しない限りは宣戦布告をしてはならないと思う。
すなわち、外交がこじれ、決裂したその先に待ち構えるのが宣戦布告であって、宣戦布告を日常的な外交カードにしてはならない。
これはいわばトランプ-切り札-であり、強烈な禁じ手なのである。
それを日常的に用いるのは、極めて危険である。宣戦布告はすべてを済ませてからではないと発動できない。ミクロネーション国際社会のなかで、宣戦布告を容認する国家は、この禁じ手についての議論を重ね、発動の要件を定めるべきであると思う。
そして、我が国はいずれの国の宣戦布告についても支持をしない。
私のいいねはあくまでも既読……くらいの気持ちなので、それは支持の意思ではありません。それだけはご理解を……お願いします
最後に我が国が宣戦布告を受けた時であるが、この時には屈強な帝国軍が敵国を破壊することになろう。
我が国は交戦権の放棄までは行っていない。
覚悟を持った戦士たちは、国家を守る。国民を守る。
諸外国にこちらから手を出すことはない。
しかし侵略から国家と国民を守るため武器を手にする覚悟は、私に、軍人に、政府首脳に、そして国民にある。
我が国としては、今後の国際社会が平穏なものであることを願う。
ぶらうん暦250年12月16日
大ぶらうん帝国皇帝
ぶらうん3世
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