スターツ・エアクラフト・SC-7

スターツ・エアクラフトSC-7とは、スターツエアクラフト社が1973年に開発したジェット旅客機である。公式の愛称に「ショコラ」というものがある。本項ではSC-7に統一する。
白一色塗装で飛行するSC-7試験機
1973年1月20日 フラワット空港近郊

概要


大ぶらうん帝国航空省ならびに大ぶらうん国際航空は新世代ジェット機の開発を国内3つの航空機製造メーカーに指示した。その中でスターツ・エアクラフト社が提案した型が採用され、1968年にローンチされた。

1968年2月10日、ローンチにあわせ大ぶらうん国際航空が確定20機、オプション5機を発注。続いて4月3日、国内3位の航空会社のサウスイースタン航空が確定25機の発注を発表。
4月28日にパラソル航空が確定5機、オプション10機を発注、5月19日にバタケール航空が確定15機、オプション10機を発注し90機の発注を集めた時点で本格的な製造が開始された。
当時の機体としては優れた飛行サポート機能、とくに航空機関士の負担を軽減するFESS(フィーズ/Flight Engineer Support System)を搭載。負担を従来比3割減することに成功した。だがこれらの新機構の採用で開発は大いに難航し漸く1973年1月に初飛行し5月に航空会社への引き渡しが開始され、10月24日、大ぶらうん国際航空とサウスイースタンで初就航した。


しかし、FESSのシステムは非常にデリケートで誤作動を起こしやすく、対応に慣れていなかった初期では飛行中に不可解な警告を鳴らしまくった。FESSを切っていても特段飛行に影響がないことからサウスイースタンではこの機能を必ず切るように、とマニュアルに記載していた。これら初期ロットの不安定さと微妙な航続距離が災いしてパラソル航空はオプション10機をキャンセル。バタケール航空もオプション発注を5機に減らす措置を取った。初期ロットにおいてはこれらの不具合があったが、各航空会社、とくに多くの国内幹線に充当させた大ぶらうん国際航空はこの機構について不具合報告や改善点提案を行い、結果的に1975年製の機体からはこれら不具合は劇的に減った。

1981年、最新のグラスコックピットを搭載し2人乗務機にしたSC-7-500シリーズが開発をスタートし1984年に投入された。しかし長距離に相応しい航続距離になったとはいえ、A300-600RやA310、B767のような大型双発機が台頭してきた中で3発、搭乗人員は200人強のペイロードでは航空会社の関心を集められなかった。そこで胴体を伸ばした長胴型、SC-7-800LBを就航させる。この長胴型は比較的受注を集めたが、次第に双発機に移行が進みB777やA330の台頭が始まると太刀打ちできなくなり1988年、最終220機を製造した段階で生産を終了した。


派生型

SC-7クラシック

SC-7-100
基本型。1973年に就航。50機が製造された。

SC-7-100F
貨物型。基本型からの改造のほか新造機も製造された。15機が製造された。

SC-7-200S
1974年に開発された短胴型。
基本型から5メートル短縮したモデル。パラソル航空などを中心に29機製造された。
フラワット空港のSC-7-200SPF。
1987年7月16日撮影。
SC-7-200SPF
1974年にパラソル航空からの特注で5機が製造された旅客・貨物コンビ型。
-200Sの後方旅客室を貨物室にしたモデルであり、主に小包や郵便が輸送された。


SC-7-300
1976年に開発された-100を基本に航続距離を1200キロ延長したモデル。
国際線運航会社から主に発注され、30機が製造された。


SC-7-400
1979年に開発された-300より1000キロ航続距離を延長した長距離モデル。
大ぶらうん国際航空のみが6機導入した。

SC-7-500シリーズ

SC-7-500
-100を基本に最新アビオニクスを搭載したモデル。18機が製造された。

SC-7-500F
-500の貨物型。新造機が6機製造された。

SC-7-600S
-200Sを基本に最新アビオニクスを搭載したモデル。19機が製造された。

SC-7-700
-300を基本に最新アビオニクスを搭載したモデル。6機が製造された。
SC-7-800LB
-700基本に胴体を6メートル延長し、機内レイアウト見直しによって搭乗人数300人を実現したモデル。36機が製造された。

運用


大ぶらうん国際航空では国内幹線の主力機だった。最終的に35機を保有していた。たった2社だけの貨物型と旅客型を同時に運航していた会社のひとつ。旅客型は2008年に退役、貨物型も2013年には退役した。
サウスイースタン航空では40機を保有していた。国際線から国内線まで幅広く運用された。-800LB保有数は最多であり、国際線の大半をこの機で運航していた時代もあった。
それだけ思い入れが強く、最後まで残った2機が退役したのは2012年のこと。旅客型としては最後のオペレーターでもあった。貨物型は今もなお-800LBFが運航されている。

パラソル航空は最初の5機以外は全て短胴型の-200S,-600SBであった。累計29機を保有していた。
同社はボーイング機を数多く保有していたが、その中にあってフラッグシップはこのSC-7であった。
また特別塗装機も多く、初号機は毎年夏に「Summer Liner」という特別塗装を施されて飛行していた。思い入れがありそうなものだがボーイング757の導入と入れ替わる形で1999年には全機退役。

バタケール航空は30機を保有していた。
しかし後継型-500シリーズは導入せず、1996年に全機退役。のちにさまざまな航空会社に放出された。

エアアンティカ・フラワット航空は新造12機、中古で10機を揃えていた。
大半が短胴型であったが中古機はすべてフルサイズ型であった。
それなりに小型でそれなりに飛んでくれる機体でありながら、B747やDC-10などの欧米機に比べて遥かに不人気機種だったために安く調達でき、エアアンティカ躍進のきっかけとなった。
エアスプラッシュは5機を導入。全機が短胴型-200Sであった。
洋上飛行区間を多く含むことから導入されたが同社にとってはフルサイズ機は大きく、短胴型開発後の導入となったため初導入した年がかなり遅い。しかしそれはFESSの不具合が改善された後の導入であることも意味し、結果的に同社でのこの機の評価はかなり高かった。1994年退役。

商社のラボラールブルグ商事はリース機材として32機を保有していた。
国内、国外問わずリースされ、中にはアフリカに渡った機材もいる。
同社から退役したのは2005年のこと。
中には買い取られてリース先でその機生を終えた機体もいる。

レイン王国のレインラント航空は19機を導入した。
導入早々国際線に駆り出し、レイン王国と大ぶらうん帝国の関係改善をアピールした。
しかし導入直後からFESSの不具合、とくに失速警報と連動した警報の誤作動が相次いだ。1992年に退役した。

レイン王国南部を拠点とするロンブッツ航空では18機が導入された。
国外の会社としては唯一-500シリーズを導入した。1996年退役。これまた国外の会社として最も遅くまで残った。

主な事故

SC-7は全損事故を2件起こしている。
同時期のほかの航空機に比べて非常に少なく、製造機数に対する全損率も低い。初期はFESSの不具合が目立ったが、意外にもFESS不具合が原因の事故は1件のみである。
・レインラント航空346便墜落事故
1976年10月13日 午後7時14分発生
 FESSの不具合、技術力の限界を露呈させた
 事故。離陸直後失速警報と連動する機能の
 不具合から事実と乖離した警報が鳴った結
 果離陸からわずか1分で墜落した事故。
 雨が降っていたため火災が抑えられ乗員乗
 客159人中61人が生存したが98人が亡くな
 る大惨事にもなった。

・サウスイースタン航空3F便銃撃事件
1985年12月26日 午前2時42分ごろ発生
 バタケール第三次反乱の最終局面、85年の
 12月はまさに反政府組織と政府の戦闘が
 激化していた。空中でも反政府組織側が秘
 密裏に導入した戦闘ヘリコプターと政府軍
 機との対決が起きていた。
 そのなか、通りかかった同機が帝国空軍機
 に誤認され銃撃を受けた。
 機長と航空機関士が重傷を負い、副操縦士
 もけがをしたがFESSのサポートにより着陸
 に成功した。上記の例と違いFESSが生還に
 貢献した例。機体は全損扱いとされた。

大ぶらうん帝国公式

ーこれはネットの海を漂う小さな国の奇譚ー

0コメント

  • 1000 / 1000