皇帝陛下に聞いたった

記)今日はよろしくお願いします
帝)あっはい

記)じゃぁ…年齢を教えてくれるかな
帝)43です

記)43…じゃあ、もう働いてるの?
帝)皇帝です。
記)皇帝…あっ(察)

記)えーと、ではお名前やらなんやらを
帝)ぶらうん3世です。207年9月23日、鴎離宮の生まれです。

記)では、皇帝になったきっかけを
帝)世襲…ですかねぇ…わりといろいろありましたが…

記)そのわりと、ってのは…
帝)いとこ殴ったことですかねぇ…火山島に流しましたが逆に発展させてくれましたねぇ…
まああのへん過疎地域だったのでよきかな。

記)…こういうことを聞くのはまずいと思いますが…好きな方などは
帝)ほんとだよ()皇帝が私でよかったと思うことやな……
えっと、好きな子ね。うん。ピョコラ様。マヤちゃん。

記)皇帝陛下が様付けで呼ぶとは相当位の高い人物なのですね…
帝)おっそうだな。
私は[国家機密につき検閲]なので。

記)そのマヤさんという方とお付き合いを?
帝)するわけないじゃん聖域だよ?[国家機密につき検閲]!

記)特技は?
帝)ない

記)では、座右の銘を
帝)鶏鳴狗盗

記)最後に一言
帝)インタビューの場所がダム湖畔ってのはどうにかしたほうがいいと思う

記)今日はありがとうございました
帝)アッハイ

【鶏鳴狗盗】けいめいくとう

つまらないことしかできない下賤な者のこととの意。そこからつまらないことでも何かの役に立つという意味。

「鶏鳴」は鶏の鳴き真似のこと、「狗盗」はわずかなものを盗むことをいう。つまり皇帝は自らを「卑しい奴」だと戒めていることになる。これが自己肯定感マイナス限界突破した末路である。

精神衛生的にとても悪い効果しかないので自己肯定感は高めていきましょう。
帝国日報社からのお知らせでした。

おまけ:鶏鳴狗盗本文
(マナペディア様の現代語訳)
靖郭君田嬰は、(斉の)宣王の異母弟です。(斉の国の)薛に領地を与えられました。 
子がおり(その名は)文と言いました。 
(文が養っている)食客は数千人。 (文の)名声は諸侯に届いていました。 (文は)孟嘗君と呼ばれていました。 

秦の昭王はその(敵国である斉の孟嘗君が)優れていることを耳にし、そこでまずは人質を斉に送り、孟嘗君に面会を希望しました。(孟嘗君が秦に)到着すると(昭王は孟嘗君を)引き止め、獄に入れて殺そうとしました。

孟嘗君は、人を照王のお気に入りの女性のところに遣わして解放してもらえるように(昭王に頼むよう)頼ませました。 「(代わりに)どうかあなた様の狐白裘を頂きたい。」と。実のところ孟嘗君は、以前(を狐白裘)照王に献上しており、他の狐白裘を持っていませんでした。

 (孟嘗君の)食客に上手に狗盗をする者(コソドロ)がいました。 
(彼は照王に献上した狐白裘がある)秦の蔵の中に忍び込み、狐白裘を盗み出し女性に献上しました。 女性は(皮をもらえたので照王に)進言し、(孟嘗君たちは)釈放されることができました。 

(孟嘗君は釈放されると)すぐに馬を走らせて逃げ出し、名前を変えて、夜に関所に到着しました。 関所の決まりでは、(朝に)鶏が鳴いて初めて旅人を通すようになっていました。 (孟嘗君は)秦王があとになって(自分たちを釈放したことを)後悔して追ってくることを恐れていました。 

食客に上手に鶏の鳴きまねをする者がいました。 (彼が鶏の鳴きまねをすると関所の)鶏たちが(それに呼応して)いっせいに鳴きました。 (これによって関所が開き、)その結果(関所の役人は)通行証を発行しました。 

(彼らが関所を)出発してまもなくしてから、追っ手がやはりやってきましたが、追いつくことができませんでした。 
孟嘗君は、帰国してから秦をうらみ、韓・魏とともにこれ(秦)を攻めて函谷関に入りました。 秦は町を割譲して和平を結ぶことになったのです。 

大ぶらうん帝国公式

ーこれはネットの海を漂う小さな国の奇譚ー

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