須崎橋の戦い
須崎橋の戦いとは、大ぶらうん帝国の内戦。その戦闘の形態から、須崎橋追撃戦とも呼ばれる。
戦争:大ぶらうん帝国の博多侵攻
年月:武暦251(2023)年3月26日
結果:鉄道大臣は撤退に成功
追撃班の体力損耗
追撃戦の映像が収録される
交戦勢力
鉄道省 1名
内閣・内務省 2名
遠征省 1名
宮内省執行部 1名
指揮官
鉄道省 鉄道大臣
内閣・内務省 帝国首相・内務大臣
遠征省 遠征大臣
宮内省執行部 ぶらうん3世殿下
戦力
鉄道省 カメラ、キャリーケース
内閣・内務省 カメラ、鞄、スマートフォン
遠征省 カメラ、鞄
宮内省執行部 カメラ、キャリーケース
損害
鉄道省 肖像権
内閣・内務省 肖像権×2
遠征省 肖像権
宮内省執行部 肖像権
概要
武暦251年3月26日、大ぶらうん帝国は博多へ侵攻し博多駅租借地を得たが、1時間後に撤退。
その後一行は須崎橋へ転戦、ここで写真撮影と観光をおこなう。
この場所では、鉄道大臣が解散するつもりであり、鉄道大臣はあらかた写真撮影を済ませると爆速で走り出した。
すると内務大臣と首相がこれを追撃、須崎橋の戦いがはじまる。
居合わせた陛下の調停は不発に終わり、結局橋を渡り切るまで戦いが繰り広げられたが、最終的に鉄道大臣は脱出に成功し、そのまま帰投した。
なお、その様子は遠征大臣の指揮する記録班と、内務省によって撮影された。陛下も最終的に鉄道大臣追撃隊を迎撃したが、体力を消耗したのみとなった。
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2023.04.17 13:27